こんにちわ、もっちパパです。
新人看護師さんも入職して時間が経ち、少しずつ仕事に慣れてきた時期だと思います。慣れてきたからこそミスや失敗が出る時期です。気を付けてくださいね。
また2年、3年と続けているうちに将来どのような看護師になりたいのか分からない人や悩んでいる人もいると思います。
私も後輩からいろいろな悩みを聞き、相談もたくさんされてきました。
そこで少しアドバイスではないですけど、15年目の私から看護師を続けてきてどうなのか、現状はどうなっているのかをお話したいと思います。


結論:現状、看護師を続けてきて生活は大変充実しています。続けてきて良かったなと思います。
なぜ続けてきて良かったか少し、今までの経歴と自分の紹介を交えてお話したいと思います。
初めに言っておきますが、私はめちゃめちゃ意識低い看護師です。そして何より子供が大切です。
仕事より子供を優先します。
それでも看護師を続けている理由は安定した収入があるためです。ええ、ダメですか?
もちろん家族を養わないといけませんし、生活しないといけませんので。
今は出世とか新たな資格取りたいとか全く思ってないです。はい。
でも最初は自分なりに将来の看護師像を考えていました。
大学時代
大学時代の頃はそりゃもう遊びほうけてましたよ。男性看護師なんかは大体みんなそうだったでしょ?
最初の思い描いた看護師像は大学の授業の一環でトリアージ訓練に参加した際に災害看護に感銘を受け、国家試験のモチベーションを上げていきました。(DMAT超かっこいい!)
でも大学の成績はそんなに上がってないです。模試なんかは1度も合格ラインに到達したことはありません。(自慢じゃないです!)先生からもヤバいかもしれないなど悪い意味で注目されていました。
しかし年末あたりから追い込みをかけ、なんとか国家試験はギリギリで合格することができました。
いわゆる典型的な落ちこぼれです。
急性期病院時代
災害看護に夢見た青年は過酷とも知らず急性期で経験を得るため総合病院に入職しました。
今、1年目の頃を思い出すと大変感慨深いです。当初の私は全くダメダメで仕事もうまくいかない、覚えれない、落ちこぼれという悲惨な状態です。(あの頃の先輩方、本当に申し訳ありません。)
何度も看護師を辞めよう、私には全然向いていないなど何度も思っていました。
大学時代のツケがまわってきた感じです。落ちこぼれ中の落ちこぼれであり、当然上からの視線が冷たかったですね。こればっかりは自業自得であり、さらに厳しい時代の名残りがある病院であったためブラックな部分も相まって半年で心が折れました。
災害看護の夢は薄れていき、仕事だけ淡々とこなして病棟ではなるべく目立たないように過ごし、将来のことなどは考えてもいませんでした。
3年目頃でしょうか、師長さんとの面接のときに「この先どうなりたい?」と聞かれ何も答えれませんでした。
そこからこのままではダメなのか?仕事をしているだけで何かにならないといけないのか?と考えはじめ、3年目で少しずつ自覚するようになりました。
当時は脳外科病棟に勤務しており、男性も私一人であったためか師長さんからの期待もあったのかもしれません。無かったのかもしれません。いや、あったのか?
しかし病棟の力になりたいと思うようになったのは確かです。(我ながら自覚するのが遅いですねw)
そして目指そうとしたのが、脳卒中リハビリテーション看護認定看護師です。
実務経験が5年以上ないと受ける資格がないのでひたすら続けようと誓いました。
しかーーーーーーーーし!翌年、異動!!手術室へ異動!はい、終わった…。
なんともタイミングがいいことでしょう。
きっと上から嫌われていたんでしょうね。
病院あるあるです。大きい病院では自分の意思は関係ないものです。異動ってそんなものです。
手術室に異動後は手術室師長さんとのそりが合わず、苦しい時期でした。ここでも男性は私一人であったため、出来の悪い私は目に付いたんでしょう。何か失敗するたびに呼び出しをくらってましたね。
まあやる気も全くありませんでしたし…。なんのモチベーションもありません。
ここで転機が訪れます。プライベートで今の奥さんと出会った頃です。違う病院の1年目の新人看護師さんとお付き合いすることなりました。
その後、順調に交際が続き何年か過ぎ、結婚することができました。これを期に6年勤めた総合病院を退職し、精神科病院に転職しました。
精神科病院時代
精神科病院では男性看護師が多く、またみんな優しくて働きやすかったです。みんないい人!
仕事内容は初めての精神科であり、コミュニケーションの取り方が大変難しかったことを思い出します。
この頃より大学の同期に変化がおき始めました。
主任になった人や認定看護師をとった人が続々と増えてきました。私、転職したばかりであり特に何も持っていないため、劣等感に浸っていく一方でした。
しかし人生で一番嬉しい事が起きました。家族が増えたことです。
めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。本当に子供って可愛いですね。
でも浮かれていたのか同年に私は交通事故に巻き込まれ、複雑骨折にて完治するまでの半年間は仕事ができませんでした。もう主夫状態でしたね。
仕事に復帰し、精神科勤務2年目の頃。病棟の先輩との飲みに行った時
「もっち君は何でもできるから精神科の認定看護師を取ってほしい。」
と頼まれました。急性期でしごかれた分、仕事は早くできるようになってました。なんか複雑な気分でしたが、頼られるのは大変嬉しかったです。
この頃は念願の一軒家も建てて順風満帆な生活を送れていました。
精神科での仕事は楽しかったですし、人間関係も良かったのですが、この頃は育児の楽しさと子供への愛情が看護より上回り、通勤時間や勤務体制なども考慮し、また一般科で働きたいと思っていたことから3年勤めた精神科病院を退職しました。プリセプティもいましたし、先生方にも引き止められましたが家庭を一番に考えての決断でした。
一般科病院時代
この一般科病院への転職は正解でした。残業ほぼなし、変則勤務もほとんどなし、年間休日日数も良好。仕事終わりの子供のお迎えにも時間は余裕です。また奥様方が多いので子供のための休みも理解を頂けます。(これ大事!)
急性期病院の頃は何が何でも出勤してきなさいの空気でしたが特にそんなこともありません。定時で帰れるって本当にありがたいですね。
仕事の内容的には何でも屋な感じで外科内科関係なく入院してきます。透析もあり、簡単な手術も行っているのでちょっとした急性期でもあります。
現在、中堅的な立ち位置で先輩も後輩もいる状態ですが大変働きやすく、病棟内でも頼られることがあるので働き甲斐があり、何の不満もなく勤務することができています。
15年目の現状
最初に戻りますが現状は充実しています。家族との時間も確保でき、自分の時間も確保できています。
病院によって色々な働き方があると思います。一概にここはダメな病院、ここはいい病院とは言えませんが自分にあった働き方があると思います。
私は途中まで将来の看護師像を色々考えていました。災害看護師になりたい、認定看護師を取りたいなど、色々な分岐点があったと思います。ですが結局看護師としての経験値だけを得ることができただけで特に何もない平凡な看護師です。
一番の分岐点は家族ができたことです。子供たちの時間を大切にしたいがためと言えば聞こえがいいですが、本当にそれが一番の理由です。
看護師としては落ちこぼれで何もない私ですけど、それでも看護師を続けられています。
この記事を見て「なんだ結局何もない人。」と思う方もいると思います。
それでもいいと思います。こんな看護師がいてもいいんではないでしょうか?
この先、何かやりたい事を見つけるかもしれません。

まとめ
結局何が言いたいのか。
それは将来像が浮かばない看護師さん。それでいいと思います。
やりたい事が決まっている看護師さん。それでいいと思います。
モチベーションが上がらない人。上がらない時期なんか絶対にあります。いいと思います。
今のままでいいのか悩んでいる人。看護師を辞めたい人。
誰もが1度は思うことです。
看護師免許は一生ものです。少し休んでもいいと思います。
周りや他の看護師と比べず、自分の看護師道を歩んで行ってほしいと思います。
女性なら途中で結婚して、出産などして看護師を続けられなくなったり、産休を明けて復帰したりしてなど途中でガラリと生活が変わるかもしれません。
男性なら色々仕事を頼まれ、思ったとは違う道を歩むかもしれません。
認定看護師をとったり主任や師長になど管理職につく看護師さんもいるかもしれません。若い看護師さんはこれから様々な看護師に出会い、患者に接し、いろいろな知識や経験を得ると思います。
病院だけが看護師の働く場所ではありません。色々チャレンジしたり休んだりしていいと思います。
いつも後輩に言ってたことがあります。
「やることはやる。できないことは言う。休むときは休む。自分の考えを言いなさい。」
「あなたが何をやりたくって、どんな看護師になりたいかはあなたが決めることなんだ。」と
さて私、もっちパパは看護師歴15年目に突入しました。これからも色々な看護師さんに出会いたいと思います。長々とここまで読んでくださり、ありがとうございます。
では良き看護ライフを!
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